Chansons de geste~La Chanson de roland~

そは――騎士達の物語。そして――史詩。




ローランの歌


使者選定


「流石、ネーム大公だな」
 オリヴィエは、ローランに囁いた。
 サラセンの異教徒に対して頭ごなしに叩けばいいと思っている者は多い。おおよそ、血の気の多い若者の大部分の傾向だが、それを一瞬にして鎮めてしまったネーム公の存在感は、やはり宮廷随一の名に相応しい。
 ローランも素直に肯いた。ガヌロンの反論に対して、意外にも大人しいことにオリヴィエを挟んで座るジュリエは意外な面もちだった。ローランは、「義父殿もあんなにバカバカ言わなくても解ってるってのに、容赦ないよな」と、ぶつくさと呟いただけだった。
 オリヴィエは淡く笑う。ローランがガヌロンの息子となった経緯を知る者はほとんどの場合、ふたりの不仲を想像するが、本当のところローランはガヌロンを悪く思ってはいない。この青年は個人的な恨みなど腹の中に溜めておけるほど陰湿な部分をほとんど持ち合わせていない。敵には容赦しないが、騎士として対峙すればこれ以上なく膂力も精神も優れた騎士であった。
 シャルル王は豊かな髭を捻りながら、ネーム大公の発言を吟味している。
 暫し後、シャルルはゆっくりと立ち上がり、騎士達を見渡した。
「皆の者よ。サラゴッサの王マルシルのもとに使者としてやるべき者を決めねばならぬ」
 シャルル王の決断に間髪入れずに応えたのは、ネーム大公だった。
「願わくば、私が。私に杖と御手套をお与えください」
 シャルル王の御手套、つまり手袋は与えられた者の手が王の手を代行することを示す。杖とは、王錫つまり王の権威の象徴であり、使者に杖を与えるということは王意をゆだねることに他ならない。王が信頼できるものでならねばならない。王の威光をその身を以て示すことのできるものでなければならない。王臣のいのちを預けられる者でなければならない。
 大公は、まっすぐにシャルルを見つめ、いらえを請うた。ブランカンドランの赤心を汲んだとは言ったが、その判断は十中八九といったところで、不確実な部分がわずかでも残っていることを大公は承知している。
 なまなかな者を行かせて、全く可能性がないとも言えぬ犠牲とするわけにはいかなかった。しかし。
「ならぬ」
 シャルル王は断じた。
「あなたは宮廷随一の賢者だ。私の元を離れて貰っては誰に相談役をさせるというのだ。あなたは私の側にいてくれなければ、困る。この顎髭と口髭にかけて、一刻ほどとて顧問官の任を解くことはない。座ってくれ。誰もあなたを指名することはない」
 じっと王を見つめるネームの袖を隣に座るオジエが引いた。髭……男のプライドと沽券をかけた王の断固とした言葉は覆らぬ。
「ネーム大公、座られよ。王が貴殿を指名することは無いと断じられたのだ。貴殿が座らねば、評定は中断されてしまう」
「しかし……」
「貴殿を失えばフランスは崩壊することが解らぬ貴殿ではないだろう?王が他に相応しい者をえらぶのを助けることこそ、貴殿の役目と弁えられよ」
「……」
 そこまで言われて、ただ頑固に立ち尽くすようなことは、ネームらしくない。指名を諦めたネームの様子をみて、シャルルは再び、諸将に問いかけた。
 だれをえらぶべきか、と。
 諸将のいらえを待たず、シャルル王の重ねての問いかけを待ちきれず、立ち上がったのは辺境伯ローランだった。
「おれを行かせて下さい!」
「君は絶対行くな」
 勢い込んだ声に打てば響くような絶妙なタイミングでオリヴィエが制止する。文句を言おうとしたローランの先手を打って、言葉を重ねた。
「君は豪毅で短気だから、何を起こすかわからないだろう?かえって喧嘩沙汰にしてしまって面倒を起こすことは火を見るより明らかだ。ローランを行かせるくらいならば、わたしが行って穏便に事を進めてご覧に入れます」
「君の方が交渉は巧いだろうけれど、おれが行けば、一言で黙らせて帰ってくる。君を行かせるくらいなら、おれが行く」
 この場で言い争いすら始めそうなローランの様子と、大仰に溜息をついて説得しようとしたオリヴィエの次の言葉を待たずに、シャルル王がふたりを制する。
「両名とも、控えよ。無駄口を閉じて座って聞け。オリヴィエもローランも二度とサラゴッスへ行ってはならぬ。偵察でもだ。諸将とも、わたしを見よ。わたしの誇りにかけて、いずれも十二臣将の面々を指名することは許さぬ」
 ローランやオリヴィエが行くくらいならば自らが、と立ち上がろうとした十二臣将――ドゥーズペール達はぐっと言葉を呑み、沈黙した。ドゥーズペールが欠けたならフランス軍には大きな穴があく。
 重要な役目だが、軍容に大穴を開けるような人選はできない。
「それならば、私が」
 名乗りを上げたのは、ランスの大司教だった。王の前へ進み出て、膝をつく。
「フランスの毅き将たちを煩わせず、私をご指名されませ。
 王がイスパンヤに御滞在になってすでに七年、方々は多くの辛酸を舐めて参りました。此度は彼らをお休めになり、私にこそ、杖と御手套をお授けください。くだんのイスパンヤの卑劣なサラセン人の面構えを、少しばかり見て参りましょう」
 テュルパンは軽妙な口調で軽々とその剛胆を披露する。我ならばちょいと行ってちょいと帰ってくるとばかりの口調は軽妙だが、軽々しくこういうことを言う男ではないと誰もが知っていた。
 テュルパンの言葉は、殉教を前にした聖者の覚悟に等しい。
 シャルル王はしばし大司教を見つめ、不愉快な面もちで「ならぬ」と断じた。
「退がって白絹のうえに座られよ。貴男に使者を命ずることはないのだから、二度と同じ事を言ってはならぬ」
 王の咎めるような強い視線に促されて元の席へと戻ったテュルパンをオジエが軽く宥める。シャルルはオジエを挟んで並ぶ重臣達の落胆に似た表情に内心で溜息をつきながら、諸将に向き直った。
「フランスの諸将諸侯よ。マルシルへわたしの言葉を伝える者は、伯(マルシェ)のうち賢く冷静で、いざというときには剣を抜き撃ち合える腕に覚えのある者を選ぶこととする」
 伯以上の者はこれで封じた。伯以下の者では威容を損なう。
 いざというときには撃ち合い、必ず帰ってくる者でなければならなかった。
 ブルターニュ辺境伯ローランは、ドゥーズペールの員であり指名することはできない。
 指名される者は自ずと絞り込まれた。

第5話
第3話