Chansons de geste~La Chanson de roland~

そは――騎士達の物語。そして――史詩。




ローランの歌


コルドル


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 コルドルが陥落た。城壁は撃ち崩され、砦の楼閣も大石弩で討ち倒された。皇帝の機嫌はことのほか良く、コルドル戦の勝利と戦利に満足を隠さなかった。
 騎士達は金銀をはじめとし、名品と呼べるような武器武具、きらびやかなまでの装飾を施された高価な甲冑など、莫大な戦利品を獲得し勝利と名誉の美酒を愉しんでいた。コルドルの街を囲う城壁の中には異教徒はひとりも残ってはいない。恭順を良しとしなかった強情な異教徒は残らず殺され、かろうじて赦された者はすべてキリスト教徒へと改宗を誓った。激しい攻防と攻城兵器のためにずたずたになった城塁とは対照的に、街の小高い位置に建つ城はほぼ無傷だった。
 この城はフランスの城のように平らな土地ではなく、崖を含む丘に積み重ねるように建てられている。段差や空間、光線や色彩、水と風を魔術のように組み合わせ、庭ごと、棟ごとに様々な表情を見せた。
 その美しさにはこの城に入ったシャルルだけでなく、騎士の面々も満足の溜息をついたものだった。今は、果樹を植えた広い庭園のひとつに練絹を敷き詰め、騎士たちはシャルルの周りに憩う。ローラン、オリヴィエ、サムソン公、アンセイス、ジェフロワ、ジュラン、ジュリエ。そのほかにも多々の騎士らが控えていた。さらに外巻きに一万五千あまりのフランス軍が駐留している。
 白絹の桟敷で将棋を指しているのはブルゴーニュを所領とするサムソン公、豪勇を以て知られた初老の騎士アンセイス。その側ではアンジュー公ジェフロワ──かれは大帝旗の旗手である──そして、ジュランとジュリエが「ターブル」と呼ばれる双六遊びに夢中になっていた。ブリタニア辺彊伯ローランは腕に覚えのある騎士を相手に剣術の稽古を付けていた。側でレニエ侯嫡子オリヴィエが冷静な目でアドバイスをしている。
 枝振りの美しい松の木が強い日差しを遮り、白いサンザシの花が目を楽しませる──庭園の美しさを一望できる場所に、シャルル王は黄金の玉座を据えていた。白く豊かな髭、髪もサンザシの花ほどに白金に輝く。体躯は威風堂々、気高さが静かに座していても薫り、容貌も威厳と端正な尊さを備えている。
 王はどちらに、と尋ねるまでもなく異教徒でさえも一目で分かった。
 サラゴッサからの美しい騾馬の列がコルドルのうち破られた門の前で止まった。若いマシネルは沈痛な面もちで崩された街の外壁を見上げている。バラグエのクラランは失われた故郷を思い出したのだろう、憎悪とくやしさを隠す事ができずにいた。他の武者達は場数を踏み経験を重ねていたし、マルシル王とイスパンヤへの思いがいっときの感情に勝っていたのだろう、冷静で紳士的な態度を崩すことはなかった。
 片手に和平の使者を現すオリーブの枝を捧げるように保ち、煌びやか且つ豪奢な贈り物を率いていれば、フランス方はその和平の意志を見て取り、手を出す者も行く手を遮る者もない。ただし、愛嬌よく案内をかって出る者も先導する者も無かった。奇異な動物でも見るかのように、或は物陰から、或は遠巻きに彼等を見ていた。サラゴッサのイスパンヤ人にとって、コルドルは知らぬ街ではない。かつては互いに交易や王侯間の交流があった街だ。迷うことはなかった。ブランカンドラン達はコルドルの領主の城館にまっすぐ向かい、かろうじて崩されることを免れた城門を潜った。
 至る所に戦いの傷が残っている。
 いちばん美しく豊かだった庭園からは、聞き慣れぬ──この城には似合わぬフランスの言葉と活気が満ちる。他の庭園でも、騎士や兵士達が戦いの傷をいやし、疲れをとり、ゆったりとくつろいでいた。行き過ぎるあいだに若い二人が暴発しないか、老武者達は常に目を光らせていなければならないほどだった。
 ブランカンドランをはじめサラセンの使者達は、果樹がふんだんに植えられた甘い香りの庭園の入り口で思わず立ち止まり、シャルル王を見た。シャルル王の側に侍る騎士達を見遣った。シャルルが彼等に気付くと、気丈な態度で居住まいを正し深く頭を下げた。
 サラセンの武将達に気付いたフランスの騎士達がそれぞれに手を止め、注視する中、ブランカンドランはシャルル王の御前へと進む。
「輝く神の栄光と御加護を王の御為にお祈り奉ります」
 橄欖の枝を差し出し敬意を表し、膝を折る。従順とさえ見えるブランカンドランの態度に幾人かのフランスびとは満足げな表情を見せた。反面、不審を感じ表情を嶮しくするものもいる。若い辺彊伯がその最たるものだった。シャルル王の表情は読めぬ。次の言葉を発する前に、ブランカンドランは一度口を引き結んだ。その小さな所作に気づいた者はいただろうか。
「サラゴッサの勇士マルシル王の言葉をここにお伝え申し上げます。王におきましては赤心より救済の教えをお求めになり、キリスト教に帰依し、心実ともに陛下の臣下に名を連ねたく、お願い申し上げます。また、陛下にはサラゴッサの宝物庫より出せる限りの財宝を差し上げましょう。目録はここに。さらに、良質のビザンツ金貨もございます。これを以て傭兵に十分な給金を与えることもできましょう。
 陛下はイスパンヤに久しく御滞在され、さぞやお疲れと存じます。これによって和平を結び、フランス国のエクスに凱旋されますよう、また、凱旋の途には私の主君も陛下を慕いお供つかまつる所存と申しております」
 十人のサラセンの使者達は、ブランカンドランが口上を終えると整然と頭を垂れた。そして、シャルルの言葉を待ち微動だにしない。
 シャルル王はスッと両の手を神のおわす天上にさしのべた。そして祈りに目を閉じ耳を澄まし頭を垂れ、静かに黙考し始めた。ブランカンドランの言葉のどこからどこまでが真実なのか。マルシル王はブランカンドランをいかほどに信頼しているのか。疲弊を隠せないフランス軍。力でねじ伏せてきたサラセンの都市、村、国々。失った戦友達、騎士達、兵士達。
 戦の終わりを、いま、決めるのか。そのかたちは?サラゴッサを獲てこの戦は終焉を迎えるだろう。多くの犠牲を払うのか、この髭武者を信ずるのか。周囲で事の成り行きを見ている騎士達の前で、シャルルはすぐに決断を口にはしなかった。常のシャルル王は何事も、熟慮したうえでなければ決断を告げぬ。
 シャルル王の決断を待つサラセンの使者達は、身の置き所のない思いに、じりじりと焦がされる思いで待った。光が、わずかにシャルルの顔に当たる角度を変えた。
 さっと上げた顔は威厳と気品に満ち、厳かに使者たちを見下ろす。
「よく申された。和平を望み、キリストに帰依し、わがフランスに名を連ねるとはよく決心された」
 シャルル王の声音は穏やかで好感を隠さない。しかし、含まれるものはそれだけではない。断固とした厳しさがその視線から、その口調から酌み取れた。すなわち。
「しかし、マルシル王はいままでわがフランスの大敵であり、この貴公らの申し出でを俄に信じよとは事が乱暴に過ぎる。なにを以て、信じられようか?」
 シャルル王の鋭い瞳が、ブランカンドランを射抜く。その問いに対する返答はすでに用意されていたとはいえ、サラセンの武者の中には浅く息を吸い込んだ者もいた。しかし、ひといきも臆することなく、ブランカンドランはシャルル王に視線を据えていた。マルシル王に献策をしたときと同じように、静かに間をおかずきっぱりと言い切る。
「人質をもちまして」
 わずかな間を、シャルル王は待った。シャルルはサラセンの提案を聞き入れるつもりになっている──内心、ニヤリと笑いブランカンドランは言葉を継いだ。
「十人でも十五人でも二十人でも、必要と言われるだけの人質を差し上げましょう。いままでのフランス方の被害を鑑みれば、その命はないものと覚悟の上。わがあととりも加わることを志願しております」
 シャルル王に劣らず冷静で穏やかな物腰に、どことなく必死さが感じられるブランカンドランの言葉は、周囲の騎士達のざわめきを誘った。嫡子さえも差し出すという、その覚悟はいかほどの苦痛を伴うだろう?
「必要とあらば、もっと身分の高い者も差し出す所存。われらが赤心を汲み取っていただけるならば、領主、大公に至るまで差し出しましょう」
 赤心、という言葉をブランカンドランは強く発音した。シャルル王に信用させる、そこからすべてが始まるのだ。ここが肝要だった。しかし、シャルルは顔色を変えなかった。
 読めぬ。
「しかるのち、陛下がエクスの宮廷にご帰還になり、危難の聖ミシェルの礼大祭を行われるおりには、われらの主君もお供を申し出ておられます。お許しがあらば、エクス・ラ・シャペルの洗礼池にて、キリスト教に帰依するつもりにございます」
 ブランカンドランは、まっすぐにシャルル王を見つめた。ここでの失敗は、これより先の計画の失敗を招く。真の意図がどうであれ、その懸命さを真摯と受け止めた者もいた。
 シャルルはどうだったのか?息が詰まるような間合いを、サラセンの使者達は耐えた。
「まだ、救われる望みはあろう」
 伏せ気味の瞳は確かに、和平の使者を労う色を見せていた。
「しかし、すぐには返答できぬ。明朝になれば、騎士達も顔を揃えることになっている。マルシル王への返答は明朝通達しよう。今宵は城にてゆるりと休まれるよう、取りはからおう」
 ブランカンドランの背後で、溜息が漏れた。命が繋がったことにか、色好い返答をすぐに貰えなかったためか。定かでなかったけれども。
 黄昏がコルドルの城を照らし、西日が射し込む城内は不思議なほどに明るい。やがて、その光も徐々に光度を下げ、影と闇が石造りの城を支配していく。
 シャルルの命で十頭の騾馬は丁重に厩に繋がれ、広大な庭園の天幕にサラセンの使者達は招き入れられた。ささやかとはいえ酒宴が催され、客人になにひとつ不自由を感じさせないように12人の侍者があてがわれた。体のよい、監視と感じないでもなかったが、敵陣内であれば、それだけの人数の配置はありがたくもあった。
 ようよう微睡を得られるような、緊迫した夜が更けてゆく。月が沈みゆく西の空を見上げてブランカンドランが祈るのは、サラゴッサのマルシル王の英断にか故郷ヴァル・フォンドの民のためか。

第4話
第2話