業務連絡 投稿者:蔡文姫(管理人) 投稿日:2006/02/07(Tue) 17:01 No.206 スパムカキコが最近多くて、毎日修正しているような状態です。さすがに、面倒見切れなくなってきましたので、このままの状態で掲示板のアドレスのみ変更したいと存じます。 蔡文姫(管理人)>(2/7-17:35)No.207 Breeze様にご連絡。 ハジメマシテですので、お時間ございましたらこちらでも、ゲストブックでもかまいませんので、ご挨拶お願いします。 文字のみ、顔の見えないおつきあいとはいえ……顔が見えないおつきあいだからこそ、礼儀正しくありたいものです。 苦言、ご容赦くださいませ。 |
ギヨームの歌 投稿者:きよ 投稿日:2002/11/04(Mon) 14:51 No.133 <HOME> Seven Courts に掲載されている「ギヨームの歌」ですが、それらしいものについての説明をBritannica事典で目にしました。"Guillaume d'Orange"の項です。 きよ>(7/3-11:15)No.137 追伸・訂正ですが、上で「ギヨーム」が主人公の作品24作というのは語弊があって、ギヨーム作品群(=シークル)の中にカテゴライズされる作品がしめて24作であるというべきでした。 全部で80作余でしたか存在するフランス英雄譚詩は、主に3つのカテゴリーに分類されます(http://home.ix.netcom.com/~kyamazak/myth/roland/roland-items-j.htm#girart にまとめてあります)。 『ギヨームの歌』のストーリーは、『カルル大王(カルルマグヌース)のサガ』第九部の「ヴィルヒャルム・コルネイスの物語」で古ノルド語の散文で書かれており、 Hieatt による英訳(全3巻のうち第3巻)に収録されます。 ちなみにギヨーム(Guillaume)[仏]=ウィリアム(William)[英]=ヴィルヘルム(Wilhelm)[独]=ヴィルヒャルム(Vilhjálmr)[古ノルド]。 Breeze>(2/5-11:37)No.194 岩波版『西洋人名辞典』の「ギヨーム・ド・ランジュ」の項目に、この Guillaume d'Orange (?〜812)なる人物は、「カルル・マルテルの孫で、カルル1世(大帝)に仕えた」と記されています。 がしかし、「カルル・マルテルの孫」といっても、これだけでは詳しい系図関係が分かりません。 庶子、或いは外孫だったのでしょうか? とすれば、ギヨームの両親は誰と誰ということになるのでしょうか? カロリング朝期はもとより、中世西欧史には全くの門外漢ですので分かり易く丁寧に教えて下さい。 どうぞよろしく。 Breeze>(2/7-12:11)No.203 きよ様、皆様方。 「ギヨーム・ド・ランジュ」に関して色々と御教示頂き、まことに有り難う御座居ます。 手許の『中世騎士物語』なる袖珍本を披見しても、「シャルルマーニュの従兄弟トゥールーズ侯ギヨーム」が793年のイスラーム軍との闘いに奮戦したとの旨、記されて居ります。 やはり、彼は「カルル・マルテルの孫」として位置付けられているようですが、系図関係は判然と致しません。 もちろん、−−−アインハルトらの「カロルス大帝伝」などの正史的文献には登場しないようですが、−−−数々の英雄叙事詩に謳われるからには、よしんば史実に反していても、両親の名前ぐらいは語られていたことかと推察されます。 此の件に就いて、なにか御存知の方々がいらっしゃいましたら、是非とも御教え下さい。 宜しく。 Breeze>(2/7-12:18)No.205 きよ様。 『カルル大王(カルルマグヌース)のサガ』と、お書きになっていますが、「マグヌース」と「ヌー」音が長母音になっているのには何か理由があるのでしょうか? 古典期ラテン語では「マグヌス」となる筈ですが・・・。 |
ミサと朝の勤行 投稿者:蔡婉泉(管理人) 投稿日:2005/06/02(Thu) 23:45 No.146 11レース、サラセンの使者が来た翌朝、シャルル王は早朝ミサと朝の勤行を済ませたのち、戦評定を開きました。 蔡婉泉(管理人)>(3/27-23:21)No.146 ちなみに、「その国」がドイツを指すのか、フランスを指すのか、古仏語を指すのか、イギリスやイタリアを指すのかでも、検索対象が変わってきてしまいそうですね。 きよ>(6/26-18:55)No.149 "フレールジャック"というフランスなら誰でも知ってる歌がありますが、お坊さんのジャック、まだ寝てるの、朝課の鐘(マティーヌ)を鳴らしなさい、という文句になっています。 一日には7つの祈祷時(heures canoniques)があります。手元にあるクレチアン・ド・トロワの本から抜き出すと、祈祷時はmatin, prime, tierce, sext, nones, vespers, complines といいます。 ややこしいのですが、例えば nones = の直訳は「九時課」の意ですが、中世においては「午後3時ごろ」を指しました。ところが「正午」を意味する"noon"という英語の語源でもあるのです。 日課が書かれた中世の政務日課書 brèviaire や 時祷書 heures にはすばらしい(いと豪華なる)アートワークの施されているものがあります。 きよ>(7/22-14:56)No.152 カトリックの礼拝のときはひざをつくのが通例だと思います。英語だとこの「ひざまずく」動作のことを"genuflect"といいますが、これはフランス語の「ひざ」= genou に由来でしょう。 詳しい歴史は調べていませんけれども教会には"bass"というひざまづくためのマットが置いてあったりするそうです。"bass"とは、そもそもリンデの木(しなのき。菩提樹)のことで、昔はその樹皮を割いて縄やマットに編んだようです。北欧神話で鍛治師ヴェールンドが腕輪を連ねて通したひもも"bast"(しなのき)でした。ヴェルンドは一般にゲルマンかアングロサクソンの鍛冶師と思われていますが、フランス武勲詩二登場するガラン「Galan(t)」も、とどのつまりヴェルンドのことです。 蔡婉泉(管理人)>(7/22-19:28)No.153 きよ様。お久しぶりです。そして、有り難う御座います。 書き込み、さっそく参考にさせていただき、いくつかの文献を見つけました。うまく物語の中に取り込むには、聖書の勉強などに手を出さねばならぬようです。あう。 きよ>(9/3-18:10)No.154 一騎打ち試合の前に、協会やチャペルにお祈りやお布施をして必勝祈願などもしたようですよ。 典拠としては、サラセン人だが改宗してシャルル王の王女をめとり家臣となった「オテュエル」(剣「コルスーズ」または Corrouge の 持ち主)のロマンスを挙げることができます。 中期英語詩からの訳は、 酒見研究室http://www.eleph.it-hiroshima.ac.jp/sakemi/ でご覧になれます。 ただ中期英語詩では、オテュエルとロランとの一騎打ちの前に、王やロランはただ「ミサに」行っているだけなんですよね。 しかし古期フランス語原作の「オティネル Otinel」だともっと詳細な描写があり、聖ドニの教会にて王は、黄金の杯(hanap d'or)いっぱいに"parisez"という名称の貨幣をつめて寄贈しています。 一方、ロランは教会にみずからの剣デュランダルをいったん寄贈し、のちに十マルク(.x. mars)を支払って剣を請け出しています。 |
チュルパンの杖 投稿者:きよ 投稿日:2005/06/27(Mon) 08:17 No.150 ロンスヴォーの戦いのさなか、フランス勢は、 きよ>(7/22-14:26)No.151 上記のフォローですが、「ロランの歌」ではチュルパン司教がもっている「クロス」とは「笏杖」だという解釈は妥当だと思います。しかし、完全にそうとは言い切れないかも。 「アスプルモンの歌」によれば、法王ミロンが、キリストが磔刑にされ、ロンギヌスが主のその片腹を刺しし「真の十字架」のひとかけらを埋め込んだ「クロス」を戦場にむかうフランス勢の誰かに持たせようとします。エレンギやイゾレらの騎士は邪魔だとしてご辞退もうしあげますが、司教テュルパンが持つと引き受けます。おそらくここでは「クロス」=「十字架」ととるべきなのでしょう。 「アスプルモンの歌」ですが、まだロランが騎士叙勲を受けていない若造の頃を歌っていて、彼がサラセン人の王子オーモンを倒し、名剣デュランダルを得たいきさつを説明します(同時に馬ヴェイヤンティフや象牙の角笛オリファンも入手した)。 |
ログ消え 投稿者:蔡婉泉(管理人) 投稿日:2005/05/01(Sun) 18:15 No.145 <HOME> ひなたさんの投稿が消えてしまい申し訳ありません 蔡婉泉(管理人)>(3/27-23:18)No.145 はじめまして。綴りですが、私も随分調べましたが現在オックスフォード版しか手に入っていません。もともと、オック語という文字のない言葉なので、同音異綴が結構あるそうです。また、現代仏語訳もあるそうですので、どうにかして手に入れてみてもいいかも知れません。 オックスフォード版はネット上で簡単に手に入りますし、日本語サイトでも電子テキストを作る試みがされています。どこか忘れてしまいましたが、オックスフォード版に使われている単語を一覧にしたサイトもあるはずです。検索してみてくださいませ。 きよ>(6/26-17:33)No.147 久しぶりに訪ねてみました。「サラゴッサ」でしたらスペインなんだと思いますよ。フランス側からスペインのサンティアゴ巡礼に行く道は世界遺産かと思いますが、途中でロンスヴァル(ロラン遭難の戦地)があるのではなかったでしょうか。サンティアゴは英語だと聖ジェームスなんですよね。で、フランス語だとこれがサン・ジャック。ここへの巡礼者は、ローブのような服に帆立貝の貝殻を縫い付けるのがならわしです。ですからホタテ(の貝柱)のことをフレンチレストラン「コキーユ・サンジャック」と呼びますよね。 きよ>(6/26-18:24)No.148 なぜか自分が投稿した後、5月付けと6月付けの親記事が入れ替わってしまってんですが?? 「ロランの歌」オックスフォード写本のオンラインテキストでしたら、"Bibliotheca Augustana"版 (http://www.fh-augsburg.de/~harsch/gallica/Chronologie/11siecle/Roland/rol_intr.html)。がお勧めですね。 左欄にフォリオ番号(つまり"23r"は「第23葉の表」の意)が入れてあります。すると、オックスフォード写本の現物が画像化してあるサイト(http://image.ox.ac.uk/show?collection=bodleian&manuscript=msdigby23b)を利用する場合、便利です。 よく配布されている全大文字の電子テキストは写本どおりじゃなく訂正が入っていましたよ。 ひなた>(3/29-00:08)No.147 お返事有り難うございます。 ご意見を参考にさせて頂き、もう一度調べてみたいと思います。 『その国』の詳しい説明を入れずに申し訳ありませんでした。 「ローランの歌」の設定の国の言葉です。 ご意見、どうも有り難うございました。 |
ローランの歌について 投稿者:もち 投稿日:2005/01/14(Fri) 22:47 No.142 はじめまして、いま大学で「ローランの歌」に対する感想文のレポートがでていて困ってます。なにか良い情報はないでしょうか。 蔡婉泉(管理人)>(1/20-22:51)No.143 感想文ですか……。遅レスすみません。 私もすごく苦手です。 えっと、ローランの歌って、すごく読みにくいですよね。まずは、ちくま版のあとがきを見て、朝倉氏やRAJA氏のホームページ(参考文献のホームページのリンクにあるはず)のダイジェストを読んでみるのをお勧めします。その上で、翻訳本を読むと理解しやすいかと思います。 文学と史実の違いを比較検討するのも面白いかも知れませんね。 良い感想文が書けたら教えてくださいね。 |
どなたか・・・ 投稿者:ビギナー 投稿日:2004/08/08(Sun) 22:09 No.139 こんばんわm(__)m初めて投稿いたします。ネットで調べてて救いの手を求めてます。大学の授業で秋から『ロランの歌』を扱う事になったんです。で、今、必死に読んでいるのですが、なかなか内容が掴めません…。この武勲詩が意味するモノっていうかどういったものなのかというアウトラインを理解したいです。どなやか教えて下さいm(__)m 蔡婉泉(管理人)>(8/10-21:00)No.140 はじめまして。 あらすじの方は簡単に過ぎるのですが紹介させていただいています。また、参考文献の方にはさらに詳しくあらすじ・概要などを書かれているサイトを紹介しております。お時間があれば、伺ってみてください。(おおむね日本語ですから安心して検索してください。) ところで、どういった切り口からのアプローチでしょう。 ロランの歌自体は、「フランク側から見た歴史の伝承(要するに今で言う時代劇的娯楽要素を含む)」という側面、「十字軍の士気高揚のための歌」という側面、そして「最古の武勲詩」という側面、さらに「娯楽としての小説・歌の題材」という側面があると思います。 それぞれの側面からのアプローチで見方や感じ方がずいぶんと変わってくることを、よく感じます。 またお暇があれば、これからの勉強の成果をちょこっと教えてくださると嬉しく思います。 ビギナー>(8/19-12:46)No.141 「最古の武勲詩」って切り口でとりあえず勉強してみようって思ってます。アウトラインを理解してから多面的にみれたら良いかな…って。まったく無知なんおでお恥ずかしいですが。返信カ書くの遅くなって大変失礼致しましたm(__)m |
手続き。 投稿者:七軌りん 投稿日:2003/09/28(Sun) 22:27 No.138 <HOME> サラセン側の和平の使者がシャルルに面会する場面。 |
教えてください! 投稿者:うに 投稿日:2003/01/06(Mon) 21:22 No.136 誰かロランの歌の中の異民族間の接触、関係をわかりやすく教えてください。 |
クロック・ミテーヌ 投稿者:蔡文姫 投稿日:2002/10/30(Wed) 17:37 No.129 クロック・ミテーヌの伝説に関するサイトや書籍があれば教えてください。 きよ>(10/31-19:10)No.131 秋田で「良い子にしねーど、ナマハゲがきて食われちまうだど」とか言い聞かせるますが、それに相当するフランスの化け物がクロック・ミテーヌ(croque-mitaine)ということですね。 お尋ねは、そちらのことでしょうか、それとも それとも、「フランスの近代作家エルネスト・レピーヌ Ernest L'Épine (1826-1893)による、シャルルマーニュ伝説の再話」? |
すみません 投稿者:ウエポン 投稿日:2002/10/04(Fri) 22:35 No.124 初カキコです。いきなりですが「ロランの歌」に出てくる武器について調べているのですがなかなかわかりません。皆さん教えて下さい!!出来ればシャルルマーニュの12騎士やマルシルの12騎士のが特に知りたいのです、お願いします!!! きよ>(10/14-13:15)No.125 -ロランの歌の武器- フランス勢の十二臣将やサラセン人たちのすべてが、名のついた武器を持っているわけではありません。 朝倉秀吾さんの http://www.syugo.com/germinal/lecture/roland/ の「データ」のセクション(data.html)を見れば、武器・防具、馬、12臣将名があります。 手前みそですが、私のホームページ http://home.ix.netcom.com/~kyamazak/index.html に、それぞれの武器が出ている箇所を引用しています。(岩波文庫版) 「ロランの歌」以外にもシャルルマーニュ伝説の関連作品のいくつか挙げていますが、『デーン人オジエ』に登場するクルタン、『ルノー・ド・モントーバン』(騎士)や『モージ・デーグルモン』(魔道士)に出るらしいフランベルジュ等は、詳しく調べておらず未掲載です。 蔡文姫>(10/16-17:09)No.126 きよ様、ご紹介有り難うございます。 フランベルジュに関しては剣の銘ではなく種類かと存じます。柄はレイピアのように装飾的で刀身の部分が波形になっています。 レイピアは「突き」用であるに対し、フランベルジュは「突き」「斬り」の両用で、刃がまっすぐではないために傷を負わされるとかなり難治だったそうです。 滝 瓶太郎の SWORDS WORLD http://member.nifty.ne.jp/bintaro/ の方にイラストがあります。(こちらの方には、デュランダルとジュワユースの想像図が置かれています) また、新紀元社の書籍にもいくらかの資料になる記述が数冊に見受けられます。 他のサイトで詳しく情報を収集されているのであえてコンテンツに入れていませんが、あった方がいいでしょうかねぇ? ウエポン>(10/17-19:40)No.127 お二人方情報ありがとうございます!もう少し色々探してみようと思います、何かまた情報があったらください!! 蔡文姫>(10/18-17:08)No.128 ウエポン様も、面白い情報があれば教えてくださいね。よろしく〜〜 きよ>(10/31-19:01)No.130 フランベルジュが波型剣であることは存じ上げておりますが、シャルルマーニュ伝説においては、それが騎士ルノー・ド・モンタルバンの剣名でもあります。 英語ですが、http://www.bartleby.com/81/11165.html またはhttp://www.bartleby.com/81/6529.html を見ると、前述の『モージ・デーグルモンとその兄弟ヴィヴィアン』という作品にでてくることがわかります。魔道士モージは、騎士ルノーとは従兄弟どうし(ただ、cousin, voisin はルーズに使われるので、単に親戚が姻戚の意かもしれません)。 フランベルジュはフロベルジュとも呼ばれるそうです。 イタリア版(すなわち『オルランドー』)では、ルノー=>リナルド、モージ=>マラジジ、そしてフランベルジュ=>フスベルタのように、固有名詞はイタリア化されます。(参照:「修道士名簿」でも紹介の有る、ブルフィンチのシャルルマーニュのページhttp://www5e.biglobe.ne.jp/~fly_bird/charles/ch_objlist.html 愛剣 愛馬 マジックアイテム 等があります。) きよ>(11/4-13:29)No.132 追加:ルノーとモージは、やはりいとこ同士のようです。いずれも Doon de Mayence が祖父。この御仁は Brewer's 辞典だと Doolin of Mayence と呼ばれるようですが、メルヴェイユーズ(Merveilleuse)という剣を持っているそうです。 きよ>(11/4-18:48)No.134 ルノーの剣フランベルジュについては、新紀元社の書籍にも載っているようです。http://w3.shinkigensha.co.jp/book_naiyo/4-88317-320-8p.html で「聖剣伝説II」の「フランベルジュ」のページをずばり「立ち読み」できます。 「聖剣伝説」シリーズは、手にしたことはないですけれど、検証が甘くて誤謬も多いと思います。 上述したリンクも、正しくは Flamberge であるつづりの"m"が抜けているとか、モントーヴァンじゃなくてモントーバン(Montauban)というポカあり。ルノーは、帝の甥Bertolai とチェスの手合わしして諍いになり、チェス盤で叩き殺して帝の逆鱗に触れ、四兄弟ともにお尋ね者になるが、篭城、国外逃亡などして生きつなぎ..という話になっています。その馬バイヤールは、人語を解した(しゃべるのではないが、命令を理解した)とか、四兄弟の身長に合わせて伸縮したとかの伝説の馬です。 |
マルテの重さ 投稿者:きよ 投稿日:2002/09/05(Thu) 12:24 No.123 <HOME> 『ロランの歌』で、バリガンは、マルテ Maltet[仏, 原典] |
ハリネズミと食べ物 投稿者:きよ 投稿日:2002/07/29(Mon) 16:15 No.113 <HOME> こりらの管理人さんの散文的ロランを見てふと気になったんですが、「矢でハリネズミにされる」という表現がありますが、ハリネズミというのは日本に生息しませんよね?(ソニック・ザ・ヘッジホッグ以外は)。ですから、これは外来句ということになりますが、ともかく英語では、"ヘッジホッグにされる"なんて、ついぞ耳にしたことありません。ただ、ヘッジホッグをアーチン urchin ということもあるので、OED を調べると、なんとありました。 "stuck full of arrows as an urchin full of pricks"という例です。 蔡文姫(サボリ気味管理人)>(7/29-22:06)No.114 無知で聞くのが恥ずかしいのですが、「四旬節」というのは……? 私が書いているのは、筑摩版や岩波版をベースにした小説もどきで、そこここに創作を入れているので……ダウトがいっぱいあると思います。これからもきっと量産して行くんでしょうね……(恥) でも、言葉って面白いですね。外国語、勉強したくなってきた〜〜(英検三級で挫折したワタシ) きよ>(7/30-18:53)No.116 四旬節は、英語ならLent、仏語なら carême と載っています。日本ではおそらく見かけないんでしょうが、ある日、町ん中で大勢の人間が額に一点の煤みたいなのをつけたまんま歩いていて「何だ?」と思う日があります。これは、灰の水曜日で、この日からイースター(謝肉祭)まで40日間にわたる期間をいい、この間は、肉・卵・バターは忌避しなくてはならないのが、昔の習慣でしたが、今はザル法化しているそうです。 |
ロランの歌のページ 投稿者:きよ 投稿日:2002/07/23(Tue) 17:09 No.111 <HOME> ちょこっとロランの歌のページつくりました。土台は、アイテムリストで、該当箇所を岩波版・原典・英訳と引用してあります。また、自分なりにいろんな考証を試みました。 |
『ロランの歌』は史実だった? 投稿者:Ludovico 投稿日:2002/07/16(Tue) 16:38 No.105 今年もまたロランの命日である8月15日が近づいてきました。今日はこの日の思い出のために長文の投稿をさせていただきます。 きよ>(7/21-11:00)No.109 面白く読ませていただきました。ただ、背景知識の乏しさから、あまり建設的意見は出てきません。 >帰路パンプローナの城壁を破壊」 というのは、岩波の178行の註にある『パンプリュヌ攻略』という武勲詩の題材なんでしょうね。 幼児>(8/7-17:49)No.120 武勲詩『パンプローナ攻略』というのは、確かにあるといえばあります。が、この名称にはかなり問題がありまして、どういうものかと言いますと、19世紀後半にアドルフ・ムッサフィアというオーストリアの研究者がヴェネツィアにあるV5という写本の中身を活字にして出版したときに、その詩に付けた名前がこの『パンプローナ攻略』なのです。 しかし、詩の内容から言いますと、「このタイトルは一体どのように付けられたのか?ムッサフィアは何を考えていたのだろうか?」と思わせるようなものなのです。 物語はパンプローナをすでに攻略したその後の場面から始まります。シャルルマーニュの軍は、さらにコルドバを攻略した後、スペイン西北部のサンチャゴ・デ・コンポステラを目指して、西へ西へと十字軍を続けます。そういう話です。 ムッサフィアがなぜかタイトルとした「パンプローナ」を攻略するあたりのことは全く書かれていないと言えるでしょう。 近年この『パンプローナ攻略』の新しい版が出ましたが、もとのタイトルがあまりに内容にそぐわないため、『スペイン侵攻続編』という別の名前が与えられています。 Ludovico>(8/8-10:49)No.121 そうですか、『パンプローナ攻略』はムッサフィアの仕事だったのですか。これも『スペイン侵攻』同様トマなのかと思っていました。ところで、『ロランの歌』ではサラゴサが山の上の城市であるかのように語られてますよね。実際は平地にあるのに...。シャンソン・ド・ジェストに出てくる地名にも詳しい幼児さんは、これについて何かご存知ですか? 幼児>(8/24-01:11)No.122 知っているというほどのものではありませんが、あの「はじめに道ありき」説でで有名なベディエ(19c末頃のフランスの学者)が、「シャンソン・ド・ジェストの少なからざる部分がサンチャゴ・デ・コンポステラへの巡礼路沿いをフランク軍の活躍するフィールドとして選んでいる。そしてその道沿いについての記述は意外なほどに当時の現実に合ったものである。しかし、その道を一歩はずれるやいなや、歌い手らのスペインの地理に関する知識はきわめて頼りないものとなる。たとえばフランク軍のコルドバ攻略の部分などは、そこへ行くために、陸行一日、その後に水行一日といった具合である、となっています。全くもっていいかげんなものです。このベディエの説に沿って考える限りは、巡礼路から外れているサラゴサが山上の城砦と書かれたのも、さほど驚くには値しないことだと思います。 |
使用上の注意 投稿者:蔡文姫(サボリ気味管理人) 投稿日:2002/07/11(Thu) 23:05 No.103 武勲詩だけでなく、ロマン・クロトワや、サガ、カレワラなどについての話題。また、その背景になる歴史の話や、演劇や歌劇や旅芸人等の物語の伝達に関する話は大歓迎です。 蔡文姫(サボリ気味管理人)>(7/11-23:06)No.104 Ludovico様。 >でも、これ、『ロランの歌』のホーム・ページなんでしょ。こんな話ばかりしててイイんですか?失礼になりません? 大丈夫です。私も、こういったお話には興味がありますから。 |
「ロラン」は戦で歌われた! 投稿者:きよ 投稿日:2002/07/04(Thu) 16:12 No.94 <HOME> とあるサイト(http://www.florin.ms/olifant.html)で知ったのですが、『ロランの歌』は、ノルマン人による英国侵略の戦い(ヘイスティングスの戦い)で、タイユフェール 幼児>(7/6-02:20)No.96 ヘイスティングスの戦いで『ロラン』が歌われた(ただし、我々の知っている、例えばO写本の『ロラン』などにどれ程近いかは保証外)という話は以前から聞いておりました。『ルー物語』中の記述でしたか。 『ギョーム』(こちらは特に歴史記述作品とは見なされておりませんが)の中にも、ジョングルールが何人か出てきます。そのうちの最低一人は、ジョングルールであると同時に戦士です。 シャンソン・ド・ジェストが会戦の直前に歌われることがあったということを支持する材料(完全に「史料」と言えるものはどれ程でしょう?文芸作品内にジョングルールが登場するケースはかなりあります)はたしかにあります。 今ちょっと探しているところですが、たしか同じ『ギョーム』の中で、ジョングルールが旅の途中で、ギョームのたいくつをまぎらわすために、シャンソン・ド・ジェストを歌ってきかせるくだりがあります。傑作なのは、ギョームの聞いたその歌が、何と『ギョームの歌』!どうなっているのでしょうか? モノが見つかり次第、またここに書き込んでおきます。(ラウルが『ラウル』を聞かされるんだったっけ?) きよ>(7/6-18:25)No.97 楽師+戦士でおそらく有名なのは、ドイツの『ニーベルンゲンの歌の』フォルケールです。ヴァイオリン(videl)を佳く奏でるので、「ヴァイオリン弾き」(videlaere)の綽名があります。ハゲネと二人で歩哨に立った夜に奏でています。また、ところどころ、トルゥバドゥールと同義の「楽士」(spileman)とも呼ばれてますから詩吟もたしなんだかもしれません。 上では中世ドイツ語の変形つづりを書きましたが、そのころは"ヴァイオリン"という言葉はなかったので実際は"フィドル"という語が用いられています。楽師が弦楽器を自分で伴奏しながら歌ったものかが、興味深いところです。フォークダンスの掛け声のように謡いと弾きが交互だったかも?それともジャジャーンとか効果音のように使ったのかも。 |
原典など 投稿者:きよ 投稿日:2002/07/02(Tue) 16:18 No.91 <HOME> はじめまして。過去のスレは、かなり時間が飛んでますが、ここでレスさせてください。 幼児>(7/3-17:13)No.92 アンリ・ダヴァンソン著の『トゥルバドゥール』という本を新倉さんが訳しておられます。その中でも、「トゥルヴェール(北)とトゥルバドゥール(南)を歌の作者的存在と見做し、ジョングルールをその実演者と見倣す」という意味のことが書かれていますので、新倉さんはその考え方を支持しておられるということになりますね。 ただし、ダヴァンソンの書いたものでは、上述のことがらをひとつの基本とするわけですけれど、それだけではなくて、同じ記事の中に、「ジョングルールの中にもトゥルバドゥールと同じように歌を作る能力のある者もいた」とか「トゥルバドゥール自身が実演することもあった」とかという記述もあり、結局のところ、「本質的に区別できない実体(あるいは総体)を、(社会的に)高く見てトゥルバドゥールと呼ぶことにするか、低く見てジョングルールと呼ぶかというだけの問題」になってしまっている感があります。 で、私個人は、この「名称問題」は、あまり発展的な議論をもたらす材料にはなり得ないのではないかという、やや否定的な見解(簡単に言って、あまり重要視していない)をとっています。 きよ>(7/4-15:25)No.93 追加・訂正です。岩波版の解説にでは、ドイツ語の翻訳をバヴァリアの僧コンラッドの『ロランのリード』(K本)としています。(dをドと発音するのは、いわばフランス式で、本当はドイツ式発音では最後のdはトになりますよね)。"Rolandslied"古いつづりは"Ruolandes liet"ですから、ここでは"Rolant"とつづられるというのは誤謬かもしれません。 私が北欧の『カルラマグナス・サガ』と呼んだものは、岩波では『シャルル大王のサガ』(n)と呼んでいますが、これもフランス式の呼び名というべきでしょう。 きよ>(7/4-16:49)No.95 社会的地位の上下ですが、上流階級(騎士)がトゥルバドゥールを嗜んでもさしつかえないが、「ジョングルール」を職とするのはいわば「河原乞食」になりさがることであり、下流階級の「ジョングルール」がいかに歌づくりに長けていてもトルバァドゥールとは呼んでもらえないのは、なかなか興味ぶかいと思います。 あと原作者と歌い手が違う場合、歌い手は、「楽士に酒手をはずんでこそ、気前のいい、良き領主といえますよ」とかをアドリブしているでしょう。 あるいは、原作者が「聖職者を迫害するとバチがあたる」と書いた箇所を「楽師を粗末にすると七代まで不運にたたられる」にスリかえているやもしれません。 幼児>(7/10-00:09)No.98 元パン焼きのベルナール・ド・ヴァンタドゥールや住所不定セルカマンなど、一応トルバドゥールと呼ばれていますけど、あまり「上流」であったとは思いにくいが・・・ しかし確かに「ジョングルール」という名前は、当時においても、しばしば侮蔑的な色を帯びていたみたいですね。そのことは、文献のところどころで見られることであり、事実と言ってもいいでしょう。 それから「原作者」・・・当時において「原作者」って何だったのでしょう?まあ、この問題にしても、我々が問題とする時代の前期と後期で、かなりの条件的な違いが予想されるのですが・・・。私は、個人的には、比較的後期(13c頃)の、「歌」が「本」となることがある程度普通になりつつあった時代に興味があります。誰か、どこかの「注文者」が本(同時に歌)を発注する。すでにできあがっているものを注文するケースもあれば、たまに、「これこれこんな話にしてくれ」と、オーダーメイド式に注文を出す人間もいるでしょう。そういう注文に対して、誰がどんな形でこたえていたか、そのあたりのことが、ここしばらくでは、最も私の興味をひくことです。 Ludovico>(7/11-14:47)No.99 幼児氏を存じ上げてる者で、ベルナルト・デ・ヴェンタドルン(ベルナール・ド・ヴァンタドゥール)のファンです。初めて参加します。面白いホーム・ページがあるんですね。 ところで幼児さん、パン焼きをしていたのは、彼自身じゃなくて母親ですよ。まァ、身分が低かったというハナシなんだからどちらでもイイようなものですし、それにパン焼き云々というこの話自体、ペイレ・ダルヴェルニャが冗談半分で悪口を言っていたのを取り上げたのだ、てなことを言いながらウック・デ・サン・シルクが語っているもので、だから根も葉もない話であった可能性が結構高く、どだい本当かどうかは分かりませんしね。 ただ、なにせ封建社会ですからね。身分の上下はかなり大きな問題だったんじゃないでしょうか。低い階層出身のトロバドールが存在したことをもって、逆説的に封建社会がすでに絶大な安定性を獲得していた証拠と見なす研究者もいるみたいです。同じような意味で、トロバドールたちの作品とシャンソン・ド・ジェストとを同列に論じるのも危ない気がします。とにかく、ジョングルールってのはやはり相当に差別的に響く呼び名だったように小生は感じてます。 幼児>(7/11-17:15)No.100 トルヴァドゥールか・・・シャンソン・ド・ジェストから始まって、いつの間にトルバドゥールの話になったんだろう? ところで、Ludovicoさん、脱線ついでだ。トルバドゥールの話題が出たところで、ひとつ質問。彼らの間で、一時期だかずっとだか、「論争詩」"jeux partis"等々が流行っていたことがありますね。あれは、まるきり即興で歌われたものなのだろうか、それとも、前もって予告のようなものがあって、準備してきた上で歌われたものだろうか?仮に即興的に歌われたものだとしたら、どれくらいのスピードで行われたんでしょう?何かおもしろいネタあります? Ludovico>(7/11-20:05)No.101 反応が早いですね。ところで幼児さんって、やっぱ言葉の訛りからしても北仏人ですね。トロバドールたちはpartimenって言ってたみたいですよ。で、あれの3人とか、それ以上の人数でやるヤツはtornejamenって呼ばれてたようで、要するにこれはトーナメントのことですよね。その名からして、いかにもやんごとなき連中の遊びって感じでしょ。やっぱ、ジョングルールとトロバドールは身分が違うんですよ。早い話が、ジョングルールとかミンストレルとかでテュロルドみたいに名前の残ってる人って少ないでしょ。トロバドールは何百人もの名前が残ってますぜ。が、まァそれはともあれ、あの手の論争詩に限らず、一般にトロバドールの歌は基本的に口承作品とは考えられてないですから、即興的に歌われた可能性は無いんじゃないでしょうか。partimenの場合でも、内容といい詩形といい、凝りまくったものが多いようですし、まァ、とてもじゃないが即興で作るのは無理だったろうということでしょう。以前、シチリア派のヤコポ・モスタッチとピエル・デッレ・ヴィーニェとジャコモ・ダ・レンティーニという豪華メンバーが3人でやっているtornejamenについて、実際にこの3人が一堂に会した機会があったはずだ、というので具体的な仮説を立てて云々している研究があるという話を読んだ記憶があるのですが、よく覚えてません。いずれにせよ、紙のやり取りをしながら論争したのであれば、そんな「機会」など無くても一向に構わないわけで、そうなるとスピードなどは問題になりませんよね。 でも、これ、『ロランの歌』のホーム・ページなんでしょ。こんな話ばかりしててイイんですか?失礼になりません?ならないように、この下の『ロラン』関係のところにも少し書いておきますね。それに小生だってロランも好きですから、明日にでもロランのこと何か書かせていただきます。 幼児>(7/19-03:24)No.106 ジョングルールの名前がろくに記録に残っていないことの説明として、「身分が違った」というのも、1つの考え方として、とりあえず通ると思います。 ・・・のですが、ひとつ思ってしまうこと:「ジョングルール」という呼び方に侮蔑的な響きがある以上、自分を紹介するのに、また、他人に紹介してもらうときでも、「ジョングルール某」と言い方はなされないだろう、むしろ、普段は「ジョングルール」並みにあしらわれている連中でも、記録の上では、「ジョングルール」ではなく、「トゥルバドゥール」として残ったりしていたのではないか、そう考えれば、ジョングルールの名前がほとんど残っていない(ように見える現象)のは、実はまったく当たり前の帰結なのではないか、ということです。まあ、私の考えに過ぎませんが・・・。 身分が低かったから、きちんと名前を書いてもらえなかったんでしょうか。いや、身分制度の強力な土壌というものを大きく肯定するなら、むしろ逆に、「ジョングルール某」という記述がもっとたっぷり出てきてしかるべきではないかという気すらするのですが・・・。 Ludovico>(7/20-20:14)No.107 えらくこだわりますね。ただ、なんかハナシの焦点がズレて来てるように思えて仕方がないんですけれども、幼児さんはトロバドールとジョングルールを要するに同じ業界というか、同じような活動に従事する人間であって、ただ社会的な身分が違うだけというような見方をしてません?トロバドールってのはオック語の抒情詩を書いた(まァ詩だけじゃなくてメロディーもですけど)連中のことであって、一般に詩は凝りに凝ったものですし、近代的な感覚で言うならば芸術家の一種ですよ。ジョングルールの方は要するに芸能人ですからね。身分が違うと言うのは、別に同じような連中だけれども両者の間には社会的に身分の差があった、ということじゃなくて、文化的な意味においても別の種類の活動だったんですよ。確かに、まずもって貴族階級であればジョングルールであることは不可能ですし、逆も同様です。それに対して、トロバドールは貴族か、あるいは少なくとも宮廷社会に出入りした人間であったわけですが、それは別に出身階級がどうのこうのというだけの問題ではなく、作る作品の種類からしても(テーマといい、技巧といい)一般にトロバドール詩に民衆的な要素は含まれていません。だからジョングルールにはいろんなヤツがいて、中にはトロバドールの誰かのお抱えになってたのもいたみたいですけれども、それにしたところで別の人種であったことにかわりはないと思いますよ。 それに、もうひとつ、やはりシャンソン・ド・ジェストとトロバドールというのはごっちゃにしない方がイイですよ。シャンソン・ド・ジェストの方は、ごく古い時代にはたぶん戦士階級も一般民衆もともに熱狂したんだろうと思いますが(例えば第一次十字軍の頃とか)、トロバドールが民衆のものであったことはたぶん一度もないだろうと思います。 ただ、時代が変わり、土地が変わり、と言うかこの両方が変わった場合には、トロバドールの歌も、創られた環境において持っていたのとはずいぶん違った受け取り方をされたものと考えられています。それが例えばrazosとかvidasというヤツになって現れているわけでして、先に幼児さんが言っていたベルナルト・デ・ヴェンタドルンのパン焼き説になって出てきているわけです。 蔡文姫(サボリ気味管理人)>(7/20-22:06)No.108 すみません、横からチャチャを入れます。 それでは、ローランの歌を歌ったのはトロバドールではないのですよね?では、どういった人達が洗練し、流布に一役買ったのでしょう? Ludovico>(7/22-17:39)No.110 いや、実に鋭いご質問です。もちろん、トロバドールでなかったことは言うまでもないのですが、では誰だったのかとなると、これは大問題でして、テュロルドが誰で、一体何をしたのかということを含めて、19世紀以来すごい議論が続いてきました。口承文学である以上、数多くのジョングルールが関与したことは間違いないでしょうが、それにしても、我々の手にすることのできる『ロランの歌』に関しては、いずれにせよ最終的に文字に書かれた形でしか残っていないわけで、だからこそ幼児氏のように、そこのところがどうだったのかを追求する研究者が現れるのだろうと思います。 幼児>(7/28-17:04)No.112 3つ上のLudovicoさんへレス。 シャンソン・ド・ジェストとトゥルバドゥールを並べて語るのはようそうという提案には賛成です。しゃべりにくくてしょうがない。というのも、「トゥルヴェール」と言えばもう少しすっきりするを、話の流れで、無理に「トゥルバドゥール」と言わなければならなくなっているところがありますので。 ただ、トゥルバドゥールの凝りに凝った詩というのも、その凝っていることを理由に、「故に芸術なり」と言わせるにはしんどいところがあると思います。「形式において極めて複雑かつ高度、しかし内容的にはかなりワンパターン、すでに何百遍も言われたことの繰り返し(つまりは無内容)というのが、彼らの作った詩の大きな特徴であるという意見も聞かれることですし。私の見たところでも、たしかにそういったことを感じさせる作品は多くあります。いかにも「芸」であります。(この「芸」は、はたして「芸術」の「芸」なのか、あるいは「芸能」の「芸」なのか?問題ですね。) Ludovico>(7/30-17:28)No.115 あのネ、幼児さんの場合はたまたま人柄を存じ上げてるので、これが揚げ足取りでないことはよく分かるんですけどね、あたしゃア別にトロバドールの歌は貴族がやってた高級な芸術だけど、シャンソン・ド・ジェストは俗衆向けの低級なエンターテインメントだ、とか何とかその手のことを言ってるんじゃないんですよ。ンなことくらい分かれよ。芸術家と芸能人の違いのハナシだって、こりゃあひとつの例え話ですよ。それにまた、内容が濃いから芸術なのか、それとも形式が凝ってるから芸術なのか、なんて美学上の議論をしてるわけでもなければ、トロバドールの歌と『ロランの歌』のどちらが上か下か、てなことを言ってるわけでもありません。私は両方とも好きですし、好きだからこそ、創られた当初はどんな連中がどんな雰囲気の中で、一体だれに聴かせることを意識して歌い、それが誰によってどんな風に鑑賞されていたのか、といったことに興味があるだけですよ。そういうことをいろいろ知れば知るほど、もともと好きだった芸術作品がもっとよく分かるようになって鑑賞の楽しみも深まりますからね。 だから、もっとそういう方向で有益な話をしましょうや。つまりね、中世の歌や文学についてはそもそも分かってることがすごく少ないわけですよ。だから、その少ない情報を増やそうという方向へ行こうとせずに、少ないままで、その少ない情報をえらく抽象的な議論の材料にだけしていると、議論はやっぱり不毛ものに終わってしまうんですよ。 そういう意味で、例えばトロバドールとトゥルヴェールの違い、なんていうのはまんざら意味がなくもない問題のような気がしますけど、どーですか?(トゥルバドゥールっていうのは単にトロバドールのフランス語なまりの発音でしょうから、どうでもイイですけど。) 蔡文姫(サボリ気味管理人)>(7/30-18:58)No.117 ……更に横やりすみません。 白水社のフランス中世文学集で、南仏詩人(トルバドゥール)の解題で、「トルバドゥール=(オック語で)トロバドール」となっていますが、十一世紀頃当時では日常的に現代仏語に近い仏語が話されていたのか、オック語等の古仏語が話されていたのかどちらだったのでしょう。 外語の日本語表記には大きな「ゆれ」があり、これが正しいとは言いきれないと思いますが、参考までに教えていただけると嬉しいです。 また、同書に「トルバドゥールがジョングルールに格下げされたりジョングルールからトルバドゥールになる例もあった」と書かれていますが、最初から身分違いとするとこの記述の真偽は如何なのでしょう? 蔡文姫(サボリ気味管理人)>(7/30-20:07)No.118 それと。幼児様が言われる、「形式において極めて複雑かつ高度、しかし内容的にはかなりワンパターン、すでに何百遍も言われたことの繰り返し(つまりは無内容)」については、古い物語を素材にして、内容よりも「言葉遊び」的な風合いを感じます。例えば、(中国好きですので例えが悪いのですが)三国志を何人もの作家が書いているように。小説それぞれに主旨が違っていてもストーリーは決まっているので、如何に表現するか脚色するかが勝負となるわけですよね。 形骸化した形式的な表現は「詩形式」だから産まれた技術だと思います。俳句や漢詩などの定型詩と通じる部分があるような無いような…… Ludovico>(7/30-21:40)No.119 横やりだなんて、そんな、滅相もありません。中世のフランスの言語ですが、普通大きく南北に分けて、まァざっとロワール河あたりを境にして、北では北仏語(オイル語、古フランス語)が、そして南では南仏語(オック語、古プロヴァンス語)が使われていた、ということになってます。現在のフランス語はもちろん北仏語の子孫でして、オイルとかオックとかいうのは英語のyesに当たる言葉なんですが、このうちのオイルが段々と変化して現在のウィになったというわけです。ちなみにオック語とかオイル語とかいう呼び名を発明したのはダンテです。が、今このページで問題になっているような文学作品に関して言いますと、『ロランの歌』のようなシャンソン・ド・ジェストは北仏語で書かれており、トロバドールの詩は南仏語です。もっとも例外的には南仏語のシャンソン・ド・ジェストも残っているようですけれども。で、トロバドールのほうですが、少し時代が下りますと、彼らの作っていたようなラブ・ソングがやがて北仏でも作られるようになります。そこで、オック語ではなくオイル語でそうした歌を作った人のことを、トロバドールと区別してトルヴェールと呼んでいるわけです。また、トロバドール、トルヴェールという用語はそれ自体、それぞれオック語とオイル語のものです。それに対して現代フランス語ではトロバドールのことをトゥルバドゥールと言いますので、フランス語で書かれた中世文学関係の本にはトロバドールではなく、こういう表記で出てくることになるわけです。 白水社の「フランス中世文学集1」の解題にはおっしゃる通りの記述が確かにありますね。でも、この意味はよく分かりません。紙数に限りがあったせいもあろうかとは思いますが、かなり乱暴な記述だと言わざるを得ません。トロバドールたちの伝記というのは、この白水社の本にも翻訳されており、解題にも若干の説明がありますが、ずっと後の時代になって、しかもイタリアあたりで作られたものでして、その内容はまったくの捏造であったと考えられています。ですから、政治的に大変な重要人物であったようなケースを除くと、個々のトロバドールがどういう人だったのかを特定するのは非常に困難なようです。ともあれ、ジョングルールとトロバドールの違いについて、ご質問で取り上げられた白水社の本の例の解題の記述の元になったのは、たぶんこのページでも話題に上っていたアンリ・ダヴァンソン著『トゥルバドゥール』(筑摩叢書198)の中の一章「ジョングルールとトゥルバドゥール」です。ともあれ、個々のトロバドールの身分がどうであったにせよ、トロバドール詩の生産・消費の舞台となったのは貴族の宮廷であったと考えられています。(ちなみに、私がこだわっていたのはこの点です。) また、西洋の抒情詩というのは、後の時代のもっと発達したものの場合でも、基本的に管理人さんの言われるように言葉遊び的な性格が強く、語彙は限定されていて、内容は確かにワンパターン(意外性がない、という意味において)であるように私も思います。ですから、内容に関しても、ほんのわずかな、微妙な違いを見つけ出して味わうのが正しい読み方ではないかと思っています。いずれにせよ、抒情詩というのは翻訳だけでは十分な鑑賞が困難だろうと思われます。 |
武勲詩使用上の注意 投稿者:幼児 投稿日:2002/06/18(Tue) 03:37 No.88 <HOME> シャンソン・ド・ジェスト(『ロラン』等の武勲詩)がこういう風に歌われていた、こういう用途に使われていた、こういう具合に書きとめられたとかいった証言記録どこかにありませんかね。どんな些細なものでも構いません。 幼児>(6/22-08:05)No.89 「証言記録」となるとやはりちょっときついか・・・。欧州の研究者連全員あつめても、それでもろくに「決め手」となるものが見つかっていないようなあたりの話ですからね。 この際、皆さんの考え、心づもり、そのレベルのもので構いません。何か書いてやってください。 蔡文姫>(6/24-00:59)No.90 トルヴァドゥールの出現が十一世紀後半。ローランの歌とシャンソン・ド・ジェストと、トルヴァドゥールとは、よく関連づけて記事にされているように思います。 吟遊詩人達は各地を廻る旅回りの歌い手と、貴族に招かれてサロン詠う歌い手に分けられていたようです。最も、その分類の仕方は正確ではなく、サロンでも市井でもどちらでも歌う吟遊詩人も中にはいたそうです。 話は変わりますが、京劇。京劇は、かつて、識字率が低い民衆に政府の法令や方針を理解させるために使われたそうです。同時に、その政府に対するレジスタンス的な芝居もあり、政治的に翻弄された歴史があったと聞きました。 そのあたり、参考になるかも知れません。 |
バラグエ 投稿者:蔡文姫 投稿日:2002/01/03(Thu) 01:44 No.85 バラグエの位置についてのメモ。 |
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